第1話:白灰の王

「常若の園生に見初められし骨身は果てを知らず、散りゆく徒花とも咲きすさびぬ身なれば、現世にありて、玉の緒なきうつほならん。」
「其は種なり。芽ぐむまじき言の葉の種なり。」
「塵土に還らず、豊饒なる腐敗を夢見に、ひとつきりの名辞をよすがとして、茫漠を流る永劫の種なり。」

?(ノラ)「樹海の幽谷に佇む村。樹木と混成した、石造りの建築物。」
?(ノラ)「古くからの伝統を守りつづけた風景。ここもまた、過去に憧憬を抱いているのでしょうか。」
?(ノラ)「いえ、それにしても。話に伺っていたのは、きっとこの地のことでしょう。」
?(ノラ)「おや、緑精の合唱です。ふふ、ここは活気のあるところですね。私たちを歓迎してくれているのでしょうか。」
ユウ「う~ん。やっぱり、なにも聞こえませんね。」
?(ノラ)「仕方のないことでしょう。たとえこの国の住人であっても、緑精を認識できるものは限られていますから。」
メルク「でも、話は本当だったのですね。こんな深い山奥に村があるなんて思わなかったのですよ。」
?(ノラ)「ええ。私の目的地も、そう遠くないはず。」
?(ノラ)「長旅により足腰も疲労しておりますが、ひとまずは情報収集といきましょうか。」
?(グリゼル)「はい。はい。要領が悪いのは自覚してますっ。みんなにそう急かされましても、困ります。」
?(グリゼル)「頭のなかで整理しながら話さないと。わたしも、こんがらがっちゃいますから。」
?(ノラ)「おや。あちらに碧色のケープを着た女性がいますね。周囲には、子どもたちが集まっているようです。」
?(ノラ)「ふふ、せっかくですから。あのかたに、尋ねてみましょうか。」
グリゼル「グリではありませんっ。もうっ、いいですか、みんな!わたしのことはグリゼル、と!」
グリゼル「きゃっ!わたしのおさげを引っ張らないでくださいっ。」
グリゼル「いたずらばかりしていると、長老さまに咎めてもらいますよ~っ!」
?(ノラ)「失礼します。この村にお住いのかたでしょうか。」
グリゼル「へっ、あ、はいっ。あなたは、えっと、はじめまして……?」
グリゼル「わ、わたし、グリゼルです!いちおう、この近辺の森番になりますっ!」
ノラ(メルローゼン)「グリゼルさん、ですか。私は祭司(ドルイド)のノラと申します。」
グリゼル「さ、祭司さま!?あなたのように、うら若い女性が……?」
グリゼル「さぞかし才知に富んでいるかたなのですね。そのうえ、非の打ち所のない美貌。羨ましい、ではなくて、えっと、憧れます!」
ノラ「ありがとうございます。またこちらのふたりですが、ユウさんとメルクさんになります。」
ユウ「ユウだ。はじめまして、グリゼル。」
メルク「私はメルクなのです!よろしくなのですよ~!」
グリゼル「はいっ。ようこそいらっしゃいました、みなさん。」
グリゼル「でも、いったいどうされたのですか?このような樹海の奥地を訪ねてくるなんて。」
ノラ「実は、探しびとがいるのです。わずかな手がかりを頼りに、ここへやってまいりました。」
グリゼル「来客なんて、珍しいです。もしかして、長老さまのところに……?」
ノラ「いえ、違いますよ。ちなみに村の住人ではありません。」
グリゼル「そ、そうでしたか。長老さまはこの村で、ただひとりの祭司ですから。知り合いなのかなって、早とちりしちゃいました。」
ノラ「ふふ、謝らないでください。私は、あなたに聞きたいことがあるのです。」
グリゼル「えっと。わ、わたしに……?」
ノラ「ええ。以前に、とある噂を耳にしましてね。」
ノラ「森番を務めておられるようですが。あなたは、白灰の森をご存知でしょうか?」
グリゼル「白灰の、森。はい、もちろん知っています。」
グリゼル「でも。あの森に、ノラさんの探しびとが……?」
ノラ「いえ、まだ決まったわけではありません。森にいるのか、私はこの目で確かめるために来たのです。」
ノラ「それで、グリゼルさん。少しだけ時間をいただいでもよろしいでしょうか。」
グリゼル「う~んと、いまは、ですね。村の伝承童話を、語り聞かせていたところで。」
グリゼル「あっ、そういえば。白灰の森の成り立ちについても、話していたんですよ?」
ノラ「なるほど、失礼いたしました。それでこんなにも、子どもたちが集まっていたのですね。楽しいひとときに、水を差すつもりはなかったのですが。」
ノラ「構わずに続けていただけますか。民話や伝承には、私も関心がありますから。」
グリゼル「あはは、気になさらないでください。それよりも、ノラさんは『白灰の王』を知っていますか?」
ノラ「白灰の王、ですか。いえ、寡聞にして存じません。」
グリゼル「村の近辺では、わりと知られた伝承です。遥か遠い昔から、白灰の森に棲みついている魔物の話で。」

「ひとつは、その長命であるその理由。男は森の命の根源たる緑精を吸収する体質にあり、それゆえにひとよりも長い寿命を生きていました。」
「その生まれ持った体質の苦悩を理解できる存在が、彼自身を除いてひとりもいなかったからです。」
「そしてもうひとつは、その心。男は、生まれつき心の所在が曖昧でした。ゆえに人間として生きることに違和感を覚えていました。」
「男はやがて、自分自身を見失っていきました。己の姿も忘れ、己の名前も忘れ、悠久の歳月を経るうちに、ついには魔物となったんです。」
「かの魔物は、森と相容れぬ存在でした。緑精を体内に蓄えながら、生きているからです。」
「魔物の根城に選ばれた森は生気を失い、やがては仄白い灰のような色に染まっていきました。」
「黒ずんだ幹に、どんより濁った新緑の枝葉。白い灰の降り積もる、陽光の届かない樹林。その森はいま、白灰の森と呼ばれています。」
「もちろん、本物の灰ではありません。灰の正体は塵となった枯れ葉が堆積したものや、生気を奪われた草葉が変色したものになります。」
「魔物の影響力は、甚大なものでした。祭司さまでも、手がつけられないほどに。」
「そうして村人たちは魔物を恐れ、いつしか白灰の王と呼ぶようになったそうです。」
「村の長老は、白灰の森への立ち入りを禁じました。白灰の森を訪ねる者が、あとを絶たなかったからです。」
「緑精の活動が抑制されているために、そこでは祭司さまもほとんど力を使えません。白灰の王に睨まれては、ひとたまりもないのです。」
「なのに、どうして。ひとびとは白灰の森を求めたのでしょう。」
「それは、王の稀有なる力にありました。遥か遠い昔、白灰の王はひとりの人間でした。」
「ゆえに、王は、いまはもう失われた古いまじないに、精通していると言われていたのです。」
「『誓約』と呼ばれる言葉のまじないです。」
「王に誓約を立てると、対価を差し出す代わりに、相応の力を借り受けることができます。ただし誓約を破ると、代償を払わなければなりません。」
「いわば、呪いでした。ひとの身にあまる危険な力です。」
「そうにもかかわらず。力を求める者は、誓約を結ぶために森を訪ねました。」
「白灰の王は、誓約を破った者に容赦をしません。相手の中にある、もっとも大きな力を奪います。」

ノラ「なるほど。白灰の森に巣食う王の伝承、ですか。」
ユウ「ええっと。もしかして、実在するのか……?」
グリゼル「はい。いまも白灰の森のどこかにいるはずです。」
グリゼル「伝承の内容は、真実かどうか定かではありません。ただ、誓約を扱えることは事実……、だそうです。」
ノラ「誓約の代償として力を奪う。そうして王は、またさらなる成長を遂げるのですね。」
グリゼル「そのとおりです。王が支配力を身につけてゆくたびに、森から奪われる力も増えてゆきます。」
グリゼル「白灰の森は広大な範囲に及んでいますが、以前までは、ほんのわずかな勢力だったようです。」
ノラ「白灰の王が用いる、誓約。おっしゃるとおり、古い言葉のまじないです。」
ノラ「後世に残すべきではないと判断されたのでしょう。やがては衰退していったと聞いております。」
グリゼル「長老さまが、危険な力だと。」
ノラ「ええ。言葉には大きな力があります。ときには、自然の摂理すら覆してしまうほどの。」
グリゼル「……。」
ノラ「気になったのですが。なぜ白灰の王は誓約に応えるのでしょう。魔物ならば、ひとを襲うことは当然であるのに。」
グリゼル「伝承では、もともと人間であったとされています。もしもそれが本当であるとしたら、その名残ゆえに、王は人間を襲わないでいられるのかもしれません。」
ノラ「なるほど、ではもうひとつ。なぜ白灰の王は、森の勢力を拡大するのでしょう。」
ノラ「ただ生きてゆくだけならば、勢力を不用意に広げるべきではありません。わざわざ敵をつくるような真似をせずともよいものを。」
グリゼル「長老さまにいよれば、ですが。王は、永遠を手にしようと考えているんです。」
ノラ「永遠、を……?ゆえに緑精の力を奪いつづけているというのですか?」
グリゼル「はい。そのようにして永遠を求めるのは、神樹さまに惹かれているからだと言われています。」
ノラ「なるほど。それゆえに、森に近しい存在になろうと。」
メルク「白灰の森、王の伝承、誓約、神樹さま……?あの、先ほどからすっかり置いてけぼりなのですが。」
ノラ「ふふ。メルクさんたちには、無理もないでしょうね。」
ノラ「ふたりは『庭園』をご存知ですか?この国のどこかに隠された、神聖な場所です。」
ユウ「いや、知らないです。隠された庭、ですか?」
ノラ「ええ。神樹さまを象徴とする箱庭。私たちは、その地を庭園と呼んでいます。」
グリゼル「ちなみにわたしは、伝承でしか聞いたことがありません。祭司さまの話によれば、庭園のまえに双子の門番がいて、選ばれた者だけ、なかに通してもらえるそうです。」
ノラ「ふふ。その通りです、グリゼルさん。」
ノラ「庭園では、時間が意味を成しません。祭司の力の根源たる原初の森と同じように。」
ノラ「そこは、永遠の箱庭なのです。私たちの暮らしている世界とは、摂理が異なります。」
ユウ「原初の森、か。王の惹かれている神樹さまは庭園にいるんだよな。それなら白灰の王は、神樹さまの庭園に行こうと……?」
グリゼル「さあ、そこまでは。しかし、その可能性も捨てきれないでしょう。」
グリゼル「森から遠い存在は、庭園に辿り着けません。でも、緑精を体内に吸収すれば、森に近づきます。やがては王も庭園に呼ばれるときが来るのかもしれません。」
ノラ「どうでしょうか。庭園に住まうには、管理人の資格が必要ですから。」
メルク「ノラさん。管理人とは、いったいなんなのですよ?」
ノラ「庭園を維持するために連れて来られた、森に近しい者。神樹さまより、永遠を授かった人間です。」
ユウ「永遠を授かるって……、つまり不老不死になるってことですか?」
ノラ「ふふ、そうですね。管理人は、老いもなければ成長もありません。あなたたちとは異なる摂理を生きているのです。」
メルク「では……、白灰の王さまが庭園に招かれてその管理人になることができれば、永遠を手にすることができるのですよ?」
ノラ「ええ。王に管理人たる資格があるのか、私には測りかねますが。」
ノラ「それにしても、興味深い内容でしたね。グリゼルさんのおかげで唯意義な時間となりました。」
グリゼル「え、えふふっ。祭司さまにお褒めいただけるなんて光栄です!」
ノラ「そこでひとつ、相談なのですが。あなたにはぜひとも依頼したいことがありまして。」
グリゼル「えっと、はい。な、なんでしょう……?」
ノラ「ふふふ。グリゼルさんは森番なのでしょう。」
グリゼル「いちおうは、まあ。未熟者ではありますが。」
ノラ「私は、いまから白灰の森に向かうつもりです。グリゼルさんには、その案内をしていただきたいのです。森番のあなたは、やはり地理にも詳しいのでしょうから。」
グリゼル「あ、あ~っ!?駄目ですよっ、駄目!危険なところだって、言ったばかりなのに!」
グリゼル「森は、緑精の力を借り受けることができませんっ!白灰の森に棲むモンスターたちと遭遇すれば、いくら祭司さまでも、やられちゃいます~!」
グリゼル「それに最近は森の様子がおかしいんです。草木が成長していたり、季節外れの花が咲いたり。」
ノラ「なるほど。異常が起きているのですか。」
グリゼル「そ、そもそもですねっ?森番の私でも、立ち入りは禁止されているんです!勝手な真似をしたら、長老さまのおしおきが待ってます!」
ノラ「しかしながら、先ほど申し上げましたように。白灰の森には私の探しびとがいるかもしれないのです。」
グリゼル「うっ、まあ、そうですが。でも、あの森に人が住んでいるとは思えませんよ。」
ノラ「ご存知ではありませんか。白灰の森にあるという、奇妙な庭園の噂を。」
グリゼル「えっと、そのような噂があるんですか?ここは、外部との交流もほとんどありませんので。」
ノラ「とある行商から聞いた話ですが。その庭園には木偶人形と暮らす風変わりな幼子がいると。」
ノラ「数年前から、姪が行方不明なのです。森に異変が起きているのも、姪の影響かもしれません。」
グリゼル「探している人って、親族だったんですね。その子はどんな子なんですか?」
ノラ「泣かない、子です。」
グリゼル「もしかして……、森に魅入られているんですか?」
ノラ「ええ。生活を送ることすら、困難であるほどに。」
ノラ「私は森に向かわねばなりません。グリゼルさんの助力を受けられないのだとしても。」
ノラ「白灰の森では力を発揮できないようですが。そのために、頼もしい護衛のかたを雇っているのです。」
ユウ「ええっと、まあ。グリゼルの話を聞いていると、さっそく不安になってきましたけど。」
メルク「伝承になっているようなモンスターの生息地とは、まさか夢にも思っていなかったのですよ。」
ノラ「おふたりとも……?頼りにしていますからねっ?」
ノラ「それで、あの。グリゼルさんは、立ち入りを禁じられているのですよね。」
グリゼル「は、はいっ。祭司さまとはいえ、そんな縋るように見つめられたって!」
ノラ「ふふ。冗談です。」
ノラ「気に病むことはありませんよ。むしろ、有益な情報をいただきました。」
ノラ「ですが、そろそろ向かわなければ。ユウさんたちも、よろしいでしょうか。」
グリゼル「えっ。ちょっと、ノラさん……?」
ユウ「不安は増したものの……、行くしかないか。」
メルク「なのですよ。ノラさんの姪っ子さんが心配なのです。」
グリゼル「心配なのはノラさんたちもですよ~っ!」
グリゼル「って!もういないし!」
「ま、待ってください!白灰の森は本当に危険なところなんです~!」

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