第9話:澪標

みおぎ「……静かね。世界中にわたくししかいないみたい……。」
やまぶき「ならばぜひとも2人目の住人として、俺を数えてくれ。」
みおぎ「……あなた様は……、」
やまぶき「直接会うのは2度目だな。お前はずっと俺を袖にし続けていたから。」
みおぎ「……あの忍者さんの、主様ですね。どうしてこちらに?」
やまぶき「好きな女に会いに来てはいけないか?」
みおぎ「……わたくしにそのような価値はございませんよ。」
やまぶき「なぜ。それは俺が決めることだ。」
みおぎ「……それなら、少しお話しいたしましょうか。そのくらいの時間はあるでしょう。」
みおぎ「あなたはきっとそのあとにわたくしの元から去ってゆかれるでしょうが。」
やまぶき「ほう?そこまで言わせるとは、何の話をするか興味があるな。」
みおぎ「……つまらない、1人の女の話でございますよ。」
やまぶき「……。」
みおぎ「あなたにも見えますでしょう、この首のあざが。15年前、わたくしはこの地で呪いを受けたのです。恐ろしい、8つの首をもつ大蛇の呪いでございます。」
みおぎ「……その日、わたくしは湖に水を汲みに来ておりました。」
みおぎ「わたくしはいつものように桶を浸し、そして、ふと顔を上げますと、湖の真ん中から8つの首を持つ蛇がわたくしを見つめていたのです。」
みおぎ「動けぬままに蛇を見ますれば、蛇は音もなくわたくしの方へ泳いでまいりました。」
みおぎ「8つの首のうち、わたくしを見つめているのは真ん中の1匹だけで、残りの首はどうやら眠っているようでございました。」
みおぎ「蛇はじいっとしているわたくしの首筋をその細い舌でなめると、再び湖の中へ潜っていって、それきり姿を見せませんでした。」
やまぶき「それがそのあざ、ということか。」
みおぎ「その通りでございます。」
みおぎ「……しかし、その時はこのようなあざにもなってもおらず、わたくしはなにが起きたのかすらわからぬまま、ただその場で湖を見つめ続けることしかできませんでした。」
みおぎ「それからしばらくして、旅のお坊様がやってきて、何があったのかと尋ねられるので、わたくしはその大蛇のことをお話しいたしました。」
みおぎ「するとお坊様は、それは大蛇の呪いだと申されました。わたくしは大蛇の獲物として印をつけられたのだと。」
みおぎ 「まだ1匹しか目覚めておりませんでしたが、やがてすべての蛇が目を覚ました時、蛇は再び地上に現れ、印を頼りに獲物を追うのだそうです。」
みおぎ「このあざが、こうしてはっきりと浮かび上がっているのは、もう間もなく蛇が目覚めるということでございましょう。」
みおぎ「……お坊様は、大蛇を倒せるものはおそらくどこにもいないだろうとおっしゃいました。」
みおぎ「しかし、お坊様は力のある方でいらっしゃって、わたくしにこの櫛をお渡しになったのです。」
みおぎ「この櫛とともに大蛇の身の内へ入れば、大蛇を再び眠りにつかせることができるということでございました。」
やまぶき「……どこの男からもらった櫛を大事に持っているのかと思えば、趣味の悪い贈り物だ。」
みおぎ「やまぶき様は、毎日のように櫛をお贈りしてくださいましたね。」
やまぶき「お前は1度も受け取ってくれなかった。」
みおぎ「やがていなくなる女に贈り物をしても、意味のないことでしょう。」
みおぎ「わたくしは、お坊様にみおぎは死んだと村の皆に伝えて頂けるようお願い申し上げました。」
みおぎ「そして、やがてくるその日をどこかで待つことにしたのでございます。」
みおぎ「しかし旅慣れず、ぼろぼろになっていたわたくしを救ってくださったのは今の店のおやじ様でございました。」
みおぎ「そうして、その店でせめてもの恩を返しながら、わたくしはこの日を待っていたのです。わたくしが大蛇の元へ行く、この日を。」
みおぎ「おわかりになったでしょう。わたくしはあなたのものにはなれぬのです。」
みおぎ「なぜなら、ずっと前からこの身はあの大蛇に捧げるものと決まっていたのですから。」
みおぎ「……さあ、お戻りになってください。あの大蛇が目覚める前に。」
やまぶき「……みおぎよ、俺はな、そんなことは全て承知でここに来たのだ。……ずっと、お前の心がわからなかった。」
やまぶき「だが、それももう、わかってしまった。」
やまぶき「……お前は、もう別の者にその心を預けていたのだな。」
みおぎ「……。」
やまぶき「そんなに村の者が愛しいか。自らを捧げてまで大蛇から守りたい者がいるのか。」
みおぎ「……、」
やまぶき「……。」
やまぶき「それでも。」
やまぶき「それでも俺はお前を愛している。俺との未来を選べ、みおぎ。」
みおぎ「……。」
やまぶき「ずっと、知らなかった。こんなに世界が美しいなどと。」
やまぶき「露に濡れ輝る野の花は鮮やかで、髪揺らす風は柔らかい。」
やまぶき「お前と出会ってから、何もかもが楽しく、新しかった。初めて櫛を選んで、初めて歌を歌って、初めて眠れぬ夜を過ごした。」
やまぶき「みおぎよ……、どうか、俺を選んでくれはしないか。俺は、千の城、万の金より、……ただお前の心が欲しい。」
みおぎ「それは……、できないのです。あなた様を選ぶには、わたくしには大事なものが多すぎました。」
やまぶき「……。」
やまぶき「……こんな時でも、やはりお前は俺を選んではくれぬのだな。」
やまぶき「ならば、また何度でもあの店に通おう。お前が俺を選んでくれるまで。俺がお前を手に入れるまで。」
やまぶき「……この、大蛇を倒した後にな。」
オオマガツフウジャ「……シュルルルル……、」

くろとび「やっぱり逃げないのか……。あんなのと真っ向勝負とか、何考えてるんだ……。しかも太夫には振られてるし……。」
くろとび「あのバカ主を背負ってきたせいで、俺の足ももう使い物にならなくなりかけてるんだよなあ……。」
くろとび「……、けど、しょうがないか。あれが俺の主だ。」
くろとび「……足が使い物にならなくなっても、本当に最後まで面倒見てくれるんだろうな。」

くろとび「といったものの……、」
オオマガツフウジャ「グルルルルッ!」
くろとび「足どころか全部使い物にならなくなるっての!」
くろとび「やっぱ、無理ですって!こんなの人間が勝てる相手じゃないですよ!」
やまぶき「それでも勝つのがこの俺だ!」
くろとび「満身創痍のくせにどうしてそんなに自信満々なんだ。」
やまぶき「ふ、愛の力だ。」
くろとび「誰ですか、この色ボケ主に人を愛する心なんてないって言ったの!」
みおぎ「もう、おやめになってください……!わたくしが1人湖に沈めば全て丸く収まる話ではありませんか。」
みおぎ「わたくしは、わたくしはもうずっと前からその覚悟を決めていたのに……!」
やまぶき「俺の心配か、みおぎ?」
やまぶき「ならばますます退くに退けんな!心配してくれるだけの気があるなら、いずれ俺を好きになるということだ!」
やまぶき「お前と添い遂げる未来を、蛇ごときに潰されるわけにもいくまい!」
みおぎ「……未来など、ありません……!」
みおぎ「もう、わたくしにはそんなものないのです!そんなもの、望んでなんか、おりません……!」
みおぎ「わたくしは、ただみなが、あの子が助かれば、それで、それだけで……、」
やまぶき「本当にそうか?そんな無欲な人間はどこにもいない。」
やまぶき「お前の本当の望みを言え!言っただろう、俺がなんだって叶えてやると。」
くろとび「……そうですよ、あきらめなければ意外と手に入っちゃうこともあるんですから。」
みおぎ「……それでも、わたくしは……!」
みおぎ「……!に、逃げてください……!」
オオマガツフウジャ「グルルルルッ!」
くろとび、やまぶき「……!」
(しぐれ)「ごん!」
(ごんのすけ)「ほい、発射じゃがー!」
オオマガツフウジャ「グルルッ!?」
しぐれ「ご無事ですか!?」
やまぶき「……!」
やまぶき「どこの誰とは知らないが、礼は言っておこう。みおぎと添い遂げる前に、死ぬわけにはいかんからな。」
しぐれ「……は、はあ?」
みおぎ「……どうして……、どうして逃げてくださらないのです……。わたくしはもう、諦めたのです……!もう……、もうわたくしに……、」
みおぎ「叶わぬ夢なら、見せないで……!」
こうめ「みおぎ様っ!」
みおぎ「……、こうめ……?」
こうめ「みおぎ様、行かないで……!行かないでください!」
みおぎ「なぜ、きたのですか……。あなたまでここにいては、わたくしは……、わたくしはいったい何のために……!」
こうめ「ひとりで、どこかに行かないでください!こうめは、こうめはまだみおぎ様に何も恩返しできてない!あんなにたくさん、たくさん助けてもらったのに!」
みおぎ「……もう決まっていたことなのです。」
みおぎ「お願いだから、帰って……!こうめにできることは、もうなにもないの!だから……、」
こうめ「それでも、こうめはみおぎ様と絶対一緒に帰ります!」
みおぎ「こうめ……、」
こうめ「……帰ったら、また一緒に毬つきしましょう。おいしい甘味を食べて、お歌の練習もみてくださいね。」
みおぎ「やめて……、」
こうめ「それから、ミコロも一緒に庭を散歩して、夜には月見団子を食べましょう!」
みおぎ「やめて……!」
こうめ「あとは、三味線に、扇子遊びに……、えーっと……、」
みおぎ「お願い、やめて!」
こうめ「……。」
こうめ「みおぎ様、こうめはまだまだみおぎ様とやりたいことがたくさんあるのです。」
こうめ「そんな、悲しい顔のままのみおぎ様とこのままお別れなんて、こうめは、いやですよ。」
みおぎ「……でも、しょうがないの。もうずっと前から決まっていたことなの。」
みおぎ「お願い、もう、何も言わないで……。わたくし、それ以上何か言われると、また、叶わぬ夢を見てしまう……。」
みおぎ「あなたとの日々の続きを、思い描いてしまうから……。」
やまぶき「みおぎ。」
みおぎ「……。」
やまぶき「言っただろう、お前の願いならなんでもかなえてやると。」
みおぎ「……、」
やまぶき「言え、みおぎ。お前の願いはなんだ?」
みおぎ「……お願い……、」
みおぎ「……お願い、……助けて……。わたくしを、助けてください……!わたくしはまだ、こうめと一緒にいたい……!」
やまぶき「……、」
やまぶき「任せておけ。八岐の首を刈り取ってでも、お前に朝を過ごさせてやる。」

くろとび「……簡単に言うよな……。」
ユウ「ほんとだよな……。」
くろとび「……ユウ?あ、そうか、こうめと一緒に……。」
くろとび「……けど、お前がいるなら……。」
ユウ「……?」
くろとび「あのモンスターを癒やしてくれないか。お前のことは、俺がちゃんと守る。」
くろとび「……、もしかしたら俺のことは信用できないかもしれないけど……、」
くろとび「それでも任せてほしい。」
ユウ「……、」
ユウ「わかった。」
くろとび「……、ありがとう。」
くろとび「……お前の、言ったとおりだったよ。」
ユウ「え?」
くろとび「話は後だ。さきにこの大蛇をどうにかしないとな。」
ユウ「……そうだな。」

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